生まれる前から見守ってくれていた人。

命とか愛とか生きるとか死ぬとか、何年考えてもわからないし考えても考えても苦しいし、だけど考えることをやめたくないし。
私が死ぬまでには生まれてきたこの世界のシステムというか仕組みというか、誰がなんのために創ってるんやろうということを私なりに(ここ大事)解明したい気持ちでいっぱいです。
今年に入って叔母が亡くなりました。父の妹です。
享年(きょうねん)読み方初めて知りました。
※3年前おじいちゃん亡くなったときは学ばなかったみたい。
もう葬儀も済んで、バタバタしていた心も身体も少しずつ日常を取り戻しつつあるので、心配はご無用です!難しいかもですが、皆さん少しは安心してください。ただ、この間の色々を書きたかったので、お時間と心の余裕がある方はお読みいただけたら嬉しいです(•᎑•)
↑そんなすぐ日常取り戻せる訳ないやろ!って自分でツッコミながら苦笑してます。なんかあれから笑顔が柔らかくなった気がするな。
そういうことで、先週の水曜うたでしょう(毎週恒例ツイキャス配信)はお休みさせていただきました。ちょうどお葬式の日だったんですが時間的にはできたんですけど、、、全然無理でした!
この無理具合は今まで知らないものやった。別次元やった。
きっと、大人の皆さんにはこの無理具合想像できるんやろうなあ。と思いました。(想像してよ!理解してよ!ってことじゃなく)
今までファンの方含めてたくさんの方に、何も多くは語らなくともいつでも味方でいてもらえていたのは、皆さんがこんな色んなことを経験して想像して見守ってくれていたからなんやなぁ。って分かりました。唐突に。
出会えて今も応援してくれたり私のファンと言ってくれる方や周りのお世話になっている方々に、どれだけ味方でいてもらえているのかが、改めてこんなきっかけでわかりました。わかって嬉しいけど、わかりたくなかったけど、わかってよかった。
それぐらい、亡くなった叔母は私にとって本当に大きな存在やったんですね。
多分これからも叔母からの愛情は形を変えて注がれ続けるんやと思います。それを全部ちゃんと一つ残さずキャッチして自分の人生を頑張ろうと思います。
亡くなってからじゃなくて、病気がわかってからじゃなくて、毎日を大切に。っていうのもきっと皆さん知ってるんやろうなあ。みんなすごいな。私初めて知ったわ。びっくりした。
親弟妹親戚、友達、仲間、関係者のお世話になっている皆さん、ファンの皆さん、頑なにファンじゃないって言いながらも応援してくれてるみんな、まだ出会ってないけど音楽や活動通じて出会う人、いつか持つ私の家族。他にもみんな。
どうか、当たり前が当たり前であり続けますように。
当たり前が壊れたときに、心まで壊れてしまいませんように。
もしくは自分で一番幸せな当たり前を見つけたり、当たり前を作りなおしたり、壊れても笑い合える人が傍にいてくれますように。
そして、誰にお願いしたらいいかわからんし私ができることはもう精一杯やってるからホンマにあとは見えない何かにお願いしますの域なんですけど。
どうか、私のパパとママがこれ以上つらい想いをしないで済むように、なんとか助けてやってください。
パパとママの残りの人生、少しでも幸せを感じられる時間が長くありますように。
31歳でパパママと呼ぶような女(私)の親ですが、よろしくお願いします。
手のかかる親です。←
吉川MANA
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